明治初期から西陣では糸人形が作られました。現在でも複数の小学校で保存されています。(上:乾隆、下:正親)
小学校が神社の氏子の範囲に入っている場合、祭の際に使われる神輿が残されています。上の写真は御香宮、下は城南宮の神輿です。(上:向島、下:上鳥羽)
近くに西高瀬川があるため、そこで人の往来や物資の運搬、耕作地への通いとして使われてきたのだと思われます。京都市内にも多くの川が流れ、かつては川向うへ渡るための渡し場があり、渡し船が出ていました。
また、水害の多い地域には「上げ舟」「揚げ舟」等といわれる避難用の舟が、納屋等の軒下に吊り下げられていました。(上鳥羽)
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